imprinting


俺には七歳年上の兄貴がいる。
兄貴は文武両道で高校時代には生徒会長も務め、今では自分で立ち上げた会社の社長なんかをしている。

そんな兄貴と俺は真逆で唯一運動神経は抜群なのに、頭の回転はあまり良くなかった。周囲からは何でも出来る兄貴と不出来な弟だと比べられていたけど、歳も離れていたし、兄貴はいつも気にするなと言って俺に優しかった。

そんな中で何よりも俺を気にかけ、慰めてくれたのは兄貴の親友だった。

「馬鹿だな、小太郎は。そこがお前の可愛いところだろ」

ニッと笑って、顔を上げさせられて、頭をくしゃくしゃに撫でられる。

「お前の兄貴は完璧過ぎて可愛げなんてあったもんじゃない。だから尚更お前は可愛いのかな。小太郎…、お前はそのままでいてくれよ」

「…うん」

ソファに座ったあの人に抱き寄せられ、俺は倒れこんだ先にある胸元に額を押し付けた。
そこにはいつも、お気に入りだというブランド物の細みの指輪が二つ、チェーンに通されぶら下げられていた。

そして、あれは俺が中学一年の頃か。兄貴達は高校を卒業した。
それと同時にあの人は海外へと旅立ってしまった。

「小太郎」

兄貴と一緒に見送りに行った空港で。

「片方お前にやる」

首から外されたお気に入りだという指輪を一つと、ソッと重ねられた唇。

「え…?…冴木さん?」

「大切にしろよ」

俺は兄貴の親友である冴木 東護(さえき とうご)さんから、その時二つのものを贈られた。



――あれから、五年。

俺は十七歳になった。
高校二年、クラスは最低のD組だ。
D組は成績不振や素行不良、訳有りの生徒達が集められたクラスだ。

俺の場合、成績不振はもちろんだが素行不良でも放り込まれた。

髪を茶色く染め、耳にピアスを空け。時おり授業をサボる。成りは不良っぽいけど、喧嘩はしない。

さわさわと頬を撫でる風を感じながら、何処までも広がる青空を眺める。
授業をフケ、中庭のベンチに転がり、だらしなく開いたシャツの下から首に下げていたチェーンを引っ張り出した。

「………」

チャリと繋ぎ目の細かいそのチェーンには細みのシルバーの指輪が一つ通してある。
俺はそれを青空に翳して、瞳を細めた。

「………」

グッと一度、指輪を掌の中に握り締めて唇を寄せる。
ヒヤリと冷たい金属の感触を感じながら俺はゆるゆると瞼を閉ざした。

「小太郎ー、もうすぐ授業終わるけど…って、寝ちゃったのか」







会社を経営し始めた兄貴は、毎日忙しそうにしながらも時おり俺に構ってくれる。
兄貴は俺が髪を染めても、ピアスをあけても、テストで赤点をとってきても、昔から変わらず優しい兄貴のまま、俺の相手をしてくれていた。

「………」

ふと気付けばすぐ俺は胸元にかかるチェーンと指輪を無意識に弄っている。
自室のベッドに身を沈め、指輪から手を離して寝返りを打つ。

「…意味わかんないよ」

五年経っても贈られた指輪とキスの意味が俺には分からなかった。

「なんで…俺、女じゃないし。冴木さんだって…」

そんな些細なことをいつまでも気にしている自分はどこか可笑しいんだろうか。
冴木さんは海外に行ったきりで、会ってもいなければ、連絡もとっていない。俺がとる理由もないからだ。
親友の兄貴はとってるのかも知れないけど。

「なんか…つまんねぇ」

ポツリと呟いた声は広い自室の中に落ちる。
転がっていたベッドから起き上がり、俺は財布と携帯をポケットに突っ込んで、のろのろと自室を出た。

「兄貴、まだ帰って来てないんだ」

静まり返った屋敷内に、俺は階段を降りて玄関へと向かう。玄関扉を開ければ、外はもう真っ暗だった。

それでも構わずに俺は家を出る。
だらだらと街灯の灯る道路を歩き、ネオンの瞬く街の中へと紛れ込む。

暫くすれば見知った顔に出会し、他愛もない話をして盛り上がる。
この辺は学校にいても変わらない。

「なぁなぁ、明日お嬢様学校の奴等とカラオケボックスで合コンすんだけど小太郎も来ねぇ?」

「合コン?」

「そ。小太郎、顔良いからモテるかもよ。お持ち帰りとかー」

「ふぅん。…そういうのあんま興味ない。まどろっこしそう」

「えぇー、来いよ。俺が面白さを教えてやるからさぁ」

肩を掴まれて揺さぶられる。他の面子もやたらと誘ってきて、俺はしかたなく溜め息を吐いた。

「…行くだけだからな。つまらなかったらソッコー帰る」

「よし!それでもいいからさ」

ばしばしと肩を叩かれて、振り払う。

「分かったから。で、何時?」

「学校終わってからだから、三時」

「何時ものとこか?」

「そ。よろしく〜」

その後もくだらない話を続け、俺は日付が変わる前には家へと帰った。

そんな日々の繰り返し。







夕焼け空に飛行機が離着陸する。流れるアナウスを聞きながら、到着ロビーで人を待っていた黒髪に長身の男はガラガラとキャリーバックを転がしながらゲートから出てきた男に気付いて軽く右手を持ち上げた。

「東護(とうご)」

襟足まで伸ばされた金髪に、耳には青いピアス。
首からかけられたチェーンがシャツの隙間から見え隠れする。

キャリーを引いて近付いて来た東護はきょろきょろと視線を動かし、口を開く。

「…小太郎は?」

「わざわざ迎えに来た俺を無視して、第一声がそれか」

「あぁ、だってお前とは頻繁に連絡取り合ってたから、元気にしてたかなんて言っても今さらだろ?絢人(あやと)」

小太郎の七歳年上の兄、絢人。二十四歳。
そして夕方の便で五年ぶりに帰国した東護は再度絢人へと聞き返した。

「で、小太郎は?」

「はぁ…、変わんないなお前は。コタはお前のせいですっかり不良になっちまったぞ」

空港の出口へと並んで歩き始めて絢人は愚痴をこぼす。

「送ってやった写真見ただろ?」

「見た。成長しても小太郎は可愛いままだな。側でその過程を見れなかったのが惜しいぐらいだ」

「コタが可愛いのは当たり前だ。って、そうじゃなくて。髪を茶色に染めて、ピアスまで開けて、あれじゃまるで昔のお前じゃないか」

空港の駐車場へと向かい、絢人は停めていた自家用車のロックを外すと、東護から渡された荷物を適当にトランクに放り込んだ。
一方、絢人の話を聞いた東護はにやにやと端整な顔をだらしなく崩す。

「そっか。小太郎が俺の真似をね。それで髪を染めたワケか」

「嬉しがるな。ムカつくから」

「ヤキモチか、ブラコン」

運転席に絢人が座り、東護は後部座席へと乗り込んだ。シートベルトを締め、エンジンをかけ始めた絢人に東護は未だ返されない返事に、三度目の質問を絢人へと少し焦れたように投げ掛ける。

「でさ、いい加減教えろよ。小太郎は?」

絢人は僅かに間を置き、アクセルを踏みながら、どことなく不機嫌そうに低い声を出した。

「コタなら…今夜は友達と合コンだって」

「……はぁ!?」

小太郎には不似合いな単語に思わず東護は妙な声を上げる。

「ちなみにお前が帰って来ることは教えてない。コタを驚かしてやろうと思ってたからな」

「おいおい…ふざけるなよ絢人。俺の可愛い小太郎に変な虫が付いたらどうしてくれんだ」

そして運転席の脇から顔を出して、東護は迷わず行き先の変更を告げた。

「小太郎を拾いに行くぞ」

「言うと思った。ま、始めからそのつもりだ」

妙な女に引っかけられちゃ、困るからな。まだお前の方が目が行き届いて安心だ。

交差点を左折し、車は夕暮れの中、街の中心部へと向かった。



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